東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)
オカン、ありがとうね。
- おすすめ度
- 感動する度
- 心に残る度
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の予告動画
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の概要
映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は、2007年に公開された日本映画であり、松岡錠司による作品です。
本作は、作家・リリー・フランキーさんの自伝的小説を映画化した作品であり、リリー氏が父親との複雑な関係を描いた物語となっています。主人公のボク役には、オダギリジョーさんが出演しています。
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」は、リリー・フランキー氏の自伝的小説を映画化した深い人間ドラマであり、家族の絆を描いた感動的な作品です。
オダギリジョーさんの演技も光り、多くの観客から高い評価を受けています。原作ファンからも支持を得ているため、小説も合わせて楽しめる作品です。
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)のストーリー(あらすじ)
『この話は東京に弾き飛ばされ故郷に戻っていったオトンと、同じようにやって来て帰るところを失ってしまったボクと、そして一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに東京に連れてこられて戻ることも、帰ることも出来ず、東京タワーのふもとで眠りについたボクの母親の小さな話です。』
舞台は1966年の福岡。
当時祖母の家でオカン(樹木希林)とオトン(小林薫)と小倉のばあちゃん(佐々木すみ江)と4人で暮らしていたボク(オダギリジョー)。
ある明け方ベロベロに酔っ払ったオトンが帰宅して来た。
吐くほど飲んだオトンは酔った勢いで家で暴れたあと、当時3歳のボクをつかまえ、ボクの口に焼き鳥を放り込んだあと8mmフィルムカメラをまわし始めた。
まだ3歳のボクの口には詰め込まれた焼き鳥は大きな”異物”だった。
酔っ払ったオトンのそんな様子を見たオカンはフライパンでオトンの頭をドツき、気絶させた。
その後間もなくして、オカンはボクを連れて筑豊のばあちゃんの実家に戻った。
オトンとは別居することになったが、離婚することはなかった。
小倉に比べて、筑豊には何もなかった。
ボクが見たその筑豊という土地は北九州一の繁華街の小倉とは違い、山に囲まれた小さな炭鉱町で、町のところどころで煙突から煙が上がっていた。
まだ幼かった当時のボクの遊びは『ザリガニ』や『カエル』といった生き物を捕まえて、線路の上に括り付けて電車の車輪に潰された残骸を見て楽しむという残酷なものだった。
当時のボクは”弾けた子ども”だったらしい。
筑豊にはそれほど”何も”なかったのだった。
それでも学校が長い休みになるとボクは小倉のおばあちゃんとオトンの居る家にひとりで行かされるようになっていた。
別居中のオトンは相変わらずだったが、それでもボクのために船の模型を作ってくれるような”父親”らしいこともしてくれていた。
酒に酔うと手がつけられなくなるようなオトンだったが、それでもボクにとってはたったひとりの”父親”だった。
オカンの実家は小料理屋だった。
生活のためにオカンはその小料理屋を手伝っていた。
しかし、ボクが中学生になる頃、オカンとボクは筑豊のおばあちゃんの実家を出て、部屋を借りた。
住む場所に変わりはないが、そこは古びた病院の一室だった。
そして、実家から離れた母はそこで生活の為に内職をはじめた。
決して裕福ではなかったが、それでもオカンは内職で得たお金でボクの欲しがるアコースティックギターを買い与えた。
それでも中学2年になる頃、ボクは家を出て別の土地に行きたいという考えが生まれ始めていた。
それは『どこかに行きたい』という気持ちと『毎日内職で頑張るオカンを自由にしたい』という気持ちから生まれた考えだった。
そして、ボクは決心し、隣の県である大分県の美術系の高校を受験することを決意する。
そのことをオトンに伝えるとボクの受験のために美術の講義をしてくれた。
我の強い自由人なオトンのその講義は自己中心的なもので、ボクからしたら何も身になるもののない適当なものだったが、それでも志望校だった大分の美術系の高校には無事合格した。
オカンはそんなボクに対して寂しい気持ちを抱きながら、それでも応援してくれた。
オカンの元を出て、大分で高校生活をおくるようになったボク。
オカンからはいつもオカンの優しさが込められた手紙と一緒に仕送りが送られて来ていた。
しかし、ボクはオカンからの仕送りのほとんどをタバコに使い、のびのびと堕落した高校生活を送っていた。
そんな生活の中でも失恋をしたり、友人が出来たりしていた。
その時に出来た友人で今でも交流があるのが平栗くん(勝地涼)で、その後大人になっても交流が続くほど仲のいい関係だった。
そんな高校生活も終わりが差し掛かったころ、ボクは東京の大学に行くことを決意する。
そのことをオトンに相談したとき、オトンは背中を押してくれた。
『東京には色んな人間がおる。色んなものを見てきたらいい。オカンも反対はせんやろう。』
その言葉通り、オカンも東京に行きたいというボクの背中を押してくれた。
『春になると東京には掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んで行く塵のように、日本の隅々から若いやつらが吸い集められて来る。暗闇の細いホースは夢と未来へ続くトンネル。しかし、トンネルを抜けるとそこはゴミ溜めだった。』
無事東京の武蔵野にある美大に合格したボクは東京でも堕落した生活を送ることになる。
しかし、東京でも相変わらず堕落した生活を送ることになってしまう。
大学の講義をサボっては麻雀・パチンコ…。
しまいには大学を留年してしまうことになってしまった。
オカンはボクが東京に行って間もなくして、また小料理屋で働き始めた。
稼いだお金を相変わらず想いを込めた手紙と共に定期的にボクに仕送りしていた。
そしてボクの留年が決定した時には今まで溜め込んでいたお金を全てボクの学費に使ってしまうのだった。
留年して、やっとの思いで大学を卒業したボクだったが、それでも定職にはつかずに相変わらずな堕落した生活を送っていたが、それでも東京にしがみついていた。
東京で再会した高校時代の友人である平栗くんとアパートを借りて生活をしていたが、すぐに家賃も払えなくなってしまい、アルバイト先には街金業者から頻繁に電話が掛かってくる始末だった。
そしてついには家を追い出されることになった。
そんな最中、ボクのために頑張り続けたオカンに癌が見付かった。
大事にはいたらなかったが、喉に出来た癌はオカンから声を奪う一歩手前のほどのものだった。
手術後のオカンの”声”を聞いたボクは”仕事”をすることを決意した。
目先のことで精一杯な日々で何一つとして確かなものはない生活だったが、それでもチャンスを与えてくれる仕事は何でもやった。
そして、借金を返済し終わり仕事が落ち着いてきた頃に当時付き合っていた彼女のミズエ(松たか子)の『会ってみたい。』という言葉もあり、ボクはオカンを東京に呼ぶことにした。
そこから今までボクのために頑張り続けて来たオカンとの十数年ぶりの生活と親孝行がはじまった。
しかし、それは決して長く続くものではなかったのだった…。
『この話は東京に弾き飛ばされ故郷に戻っていったオトンと、同じようにやって来て帰るところを失ってしまったボクと、そして一度もそんな幻想を抱いたこともなかったのに東京に連れてこられて戻ることも、帰ることも出来ず、東京タワーのふもとで眠りについたボクの母親の小さな話です。』
舞台は1966年の福岡。
当時祖母の家でオカン(樹木希林)とオトン(小林薫)と小倉のばあちゃん(佐々木すみ江)と4人で暮らしていたボク(オダギリジョー)。
ある明け方ベロベロに酔っ払ったオトンが帰宅して来た。
吐くほど飲んだオトンは酔った勢いで家で暴れたあと、当時3歳のボクをつかまえ、ボクの口に焼き鳥を放り込んだあと8mmフィルムカメラをまわし始めた。
まだ3歳のボクの口には詰め込まれた焼き鳥は大きな”異物”だった。
酔っ払ったオトンのそんな様子を見たオカンはフライパンでオトンの頭をドツき、気絶させた。
その後間もなくして、オカンはボクを連れて筑豊のばあちゃんの実家に戻った。
オトンとは別居することになったが、離婚することはなかった。
小倉に比べて、筑豊には何もなかった。
ボクが見たその筑豊という土地は北九州一の繁華街の小倉とは違い、山に囲まれた小さな炭鉱町で、町のところどころで煙突から煙が上がっていた。
まだ幼かった当時のボクの遊びは『ザリガニ』や『カエル』といった生き物を捕まえて、線路の上に括り付けて電車の車輪に潰された残骸を見て楽しむという残酷なものだった。
当時のボクは”弾けた子ども”だったらしい。
筑豊にはそれほど”何も”なかったのだった。
それでも学校が長い休みになるとボクは小倉のおばあちゃんとオトンの居る家にひとりで行かされるようになっていた。
別居中のオトンは相変わらずだったが、それでもボクのために船の模型を作ってくれるような”父親”らしいこともしてくれていた。
酒に酔うと手がつけられなくなるようなオトンだったが、それでもボクにとってはたったひとりの”父親”だった。
オカンの実家は小料理屋だった。
生活のためにオカンはその小料理屋を手伝っていた。
しかし、ボクが中学生になる頃、オカンとボクは筑豊のおばあちゃんの実家を出て、部屋を借りた。
住む場所に変わりはないが、そこは古びた病院の一室だった。
そして、実家から離れた母はそこで生活の為に内職をはじめた。
決して裕福ではなかったが、それでもオカンは内職で得たお金でボクの欲しがるアコースティックギターを買い与えた。
それでも中学2年になる頃、ボクは家を出て別の土地に行きたいという考えが生まれ始めていた。
それは『どこかに行きたい』という気持ちと『毎日内職で頑張るオカンを自由にしたい』という気持ちから生まれた考えだった。
そして、ボクは決心し、隣の県である大分県の美術系の高校を受験することを決意する。
そのことをオトンに伝えるとボクの受験のために美術の講義をしてくれた。
我の強い自由人なオトンのその講義は自己中心的なもので、ボクからしたら何も身になるもののない適当なものだったが、それでも志望校だった大分の美術系の高校には無事合格した。
オカンはそんなボクに対して寂しい気持ちを抱きながら、それでも応援してくれた。
オカンの元を出て、大分で高校生活をおくるようになったボク。
オカンからはいつもオカンの優しさが込められた手紙と一緒に仕送りが送られて来ていた。
しかし、ボクはオカンからの仕送りのほとんどをタバコに使い、のびのびと堕落した高校生活を送っていた。
そんな生活の中でも失恋をしたり、友人が出来たりしていた。
その時に出来た友人で今でも交流があるのが平栗くん(勝地涼)で、その後大人になっても交流が続くほど仲のいい関係だった。
そんな高校生活も終わりが差し掛かったころ、ボクは東京の大学に行くことを決意する。
そのことをオトンに相談したとき、オトンは背中を押してくれた。
『東京には色んな人間がおる。色んなものを見てきたらいい。オカンも反対はせんやろう。』
その言葉通り、オカンも東京に行きたいというボクの背中を押してくれた。
『春になると東京には掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んで行く塵のように、日本の隅々から若いやつらが吸い集められて来る。暗闇の細いホースは夢と未来へ続くトンネル。しかし、トンネルを抜けるとそこはゴミ溜めだった。』
無事東京の武蔵野にある美大に合格したボクは東京でも堕落した生活を送ることになる。
しかし、東京でも相変わらず堕落した生活を送ることになってしまう。
大学の講義をサボっては麻雀・パチンコ…。
しまいには大学を留年してしまうことになってしまった。
オカンはボクが東京に行って間もなくして、また小料理屋で働き始めた。
稼いだお金を相変わらず想いを込めた手紙と共に定期的にボクに仕送りしていた。
そしてボクの留年が決定した時には今まで溜め込んでいたお金を全てボクの学費に使ってしまうのだった。
留年して、やっとの思いで大学を卒業したボクだったが、それでも定職にはつかずに相変わらずな堕落した生活を送っていたが、それでも東京にしがみついていた。
東京で再会した高校時代の友人である平栗くんとアパートを借りて生活をしていたが、すぐに家賃も払えなくなってしまい、アルバイト先には街金業者から頻繁に電話が掛かってくる始末だった。
そしてついには家を追い出されることになった。
そんな最中、ボクのために頑張り続けたオカンに癌が見付かった。
大事にはいたらなかったが、喉に出来た癌はオカンから声を奪う一歩手前のほどのものだった。
手術後のオカンの”声”を聞いたボクは”仕事”をすることを決意した。
目先のことで精一杯な日々で何一つとして確かなものはない生活だったが、それでもチャンスを与えてくれる仕事は何でもやった。
そして、借金を返済し終わり仕事が落ち着いてきた頃に当時付き合っていた彼女のミズエ(松たか子)の『会ってみたい。』という言葉もあり、ボクはオカンを東京に呼ぶことにした。
そこから今までボクのために頑張り続けて来たオカンとの十数年ぶりの生活と親孝行がはじまった。
しかし、それは決して長く続くものではなかったのだった…。
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)を見た感想・レビュー
この映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)』もおすすめ映画なので紹介させていただきます!
2018年9月16日、女優の『樹木希林』さんの訃報のニュースを見て、無性に見たくなってしまい、見終わったあとに東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜の映画レビューを書こうと思いました。
ただ、仕事が忙しかったということもあり、再度『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)』を見てからレビューを書くまでに時間が空いてしまいました(´・ω・`)
一度見たことはあったのですが、細かいあらすじや展開までは覚えてなくて…
ただ、”いい映画”だったという記憶はあって。
どうしても見たくなって、改めて見たらやっぱりいい映画で(´・ω・`)
上手く言葉に出来ませんが、人としての大切なものを思い出させてくれる本当にいい映画だと思いました。
この映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)』もおすすめ映画なので紹介させていただきます!
2018年9月16日、女優の『樹木希林』さんの訃報のニュースを見て、無性に見たくなってしまい、見終わったあとに東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜の映画レビューを書こうと思いました。
ただ、仕事が忙しかったということもあり、再度『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)』を見てからレビューを書くまでに時間が空いてしまいました(´・ω・`)
一度見たことはあったのですが、細かいあらすじや展開までは覚えてなくて…
ただ、”いい映画”だったという記憶はあって。
どうしても見たくなって、改めて見たらやっぱりいい映画で(´・ω・`)
上手く言葉に出来ませんが、人としての大切なものを思い出させてくれる本当にいい映画だと思いました。
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の監督や出演俳優について
映画タイトル
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の製作国
- 日本
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)のジャンル
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)のキャッチコピー
オカン、いろいろごめんね。そして、ありがとうね。
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の公開年
2007年年
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の監督
- 松岡錠司
映画東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)の主要キャスト
- オダギリジョー(ボク)
- 樹木希林(オカン)
- 小林薫(オトン)
- 内田也哉子(昔のオカン)
- 冨浦智嗣(高校時代のボク)
- 田中祥平(少年時代のボク)
- 谷端奏人(幼少期のボク)
- 渡辺美佐子(筑豊のばあちゃん)
- 佐々木すみ江(小倉のばあちゃん)
- 寺島進(ハイカラな男)
- 原知佐子(現在のノブエおばさん)
- 結城美栄子(現在のみえ子おばさん)
- 猫背椿(ブーブおばさん)
- 伊藤歩(タマミ)
- 勝地涼(平栗)
- 平山浩行(磯山)
- 荒川良々(えのもと)
- 辻修(ホセ)
- 松たか子(ミズエ)
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(Tokyo Tower: Mom and Me and Sometimes Dad)を閲覧できる動画サービス
- Netflix
- Prime Video
- hulu
- U-NEXT